才能は仕事で磨かれる〜トレンドの真実を描きだす、ベテラン記者ができるまで(日経クロストレンド記者・酒井大輔さん)
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才能は仕事で磨かれる〜トレンドの真実を描きだす、ベテラン記者ができるまで(日経クロストレンド記者・酒井大輔さん)

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大量の情報のなかから消費や商品開発のトレンドをいち早くキャッチし発信する、雑誌『日経トレンディ』とWEBマガジン『日経クロストレンド』。

企業のマーケティング担当者からの支持も厚い、このふたつの媒体を兼務してきた記者が、酒井大輔さんです。超多忙な仕事の合間を縫って取材現場に現れた酒井さんは、その辣腕な仕事ぶりとは対照的に、慎重に言葉を選んで話す、物腰の柔らかな方でした。

酒井さんは2020年6月に書籍『ワークマンは 商品を変えずに売り方を変えただけで なぜ2倍売れたのか』を上梓。このコロナ禍のなかでも売り上げを伸ばす企業、ワークマンの企業戦略や経営について綿密に取材し、掘り下げています。企業の業態とともに、事業を急伸長させた立役者たちが生き生きと描き出され、小説のように気持ちを揺りうごかす文章力も、話題になりました。

雑誌・WEB・書籍と、現在さまざまなメディアを縦横無尽に行き来し、プロフェッショナルな記者として実力を発揮する酒井さん。しかし、実は酒井さんが記者を自身の天職だと感じたのは、社会に出て大分時間が経った頃でした。京都大学の法学部にいた酒井さんは、学生時代は法曹界にすすむことを考えていたそう。ところがリーマンショックによる景気後退によって法律の道を断念し、たどり着いたのが記者という仕事でした。

仕事と人生は切り離せないものですが、誰もが当初の希望通りの仕事に就職できるわけではありません。特に時代の変わり目はなおさら。コロナ禍の今も、景気の先行きの見えなさや雇用に対する不安が問題となっていますが、かつての酒井さんも、時代の波に翻弄された一人だったのです。

今回はそんな酒井さんのキャリアヒストリーをうかがいました。

酒井大輔(さかい・だいすけ) さん
1986年石川県生まれ。京都大学法学部卒業後、金沢で新聞記者になる。北陸新幹線担当として経済部、社会部で開業報道を担う。2017年2月、日経BPに入社。日経トレンディ編集部に入り、五輪連載「Road to 2020」を担当。18年8月から日経クロストレンド兼日経トレンディ記者。20年6月から日経クロストレンド記者。再開発・商業施設・ホテル・新業態店からヒット商品、スタートアップ、経営者インタビューまで多岐にわたる取材を行う。街が変わる、世の中を変える試みの背景を、物語まで描き出す一本入魂スタイルで執筆を重ねている。

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最初の就職先、地方新聞社で鍛えられた記者としての足腰

酒井さんが新卒で働くことになったのは、金沢に本社を持つ北國新聞社。その就職には、紆余曲折がありました。

「元々書くことが好きで、京都大学新聞社というサークルで文章を書いたりはしていたんです。ただ法学部でしたし、学生時代は法曹を目指すものだと思っていました。進路変更をしたきっかけは、リーマンショックです。経済が落ち込むなか、ロースクールに通うデメリットを考えて、就職に方針転換しました。それがあまりうまくいかず……幅広い業界で探しましたが、当時は不況で、企業が採用をかなり絞っていたということもあったと思います。

就職活動を始めたのが遅かったので、すでに採用が終わっていた企業も多くありました。そんななかで、5月採用で出身地の地方紙が募集していました。これは縁ですね。ですから実は、記者を目指していたというよりは、結果的にこの仕事に収まったというのが、正直なところです

ひょんなことから就職した地方新聞社ですが、酒井さんは前向きに仕事に取り組みました。幼少期に金沢に住んでいた酒井さんは、小学生時代に、その新聞をスクラップして所感文を書く課題に取り組んだこともあるそう。

子供の頃に読んでいた新聞を自分がつくるんだなという、感慨はありましたね。そういう運命なのかなと受け入れて、就職しました」

心は決まっているとはいえ、新米記者の仕事は過酷だったといいます。酒井さんが最初に配属されたのは、能登半島の一人支局。田んぼの真ん中、新聞の販売所の一角が酒井さんの住居兼仕事場でした。

「県内の出来事や、県出身の方の偉業など、県に関わることは余さず書くというのが、会社の方針です。自分も能登半島にいたときは、町内会の夏祭りがあるといえば、祭りを全部ハシゴして写真を撮ってくるようなことをしていて、けっこうハードワークでした。県民の方からネタをいただくことも多かったですね。あるいは、前任の人から、そういうリストみたいなのを引き継いだり。そこまでしてネットワークを築いているので、他紙に自分たちの書いていないことを書かれたら大変。本社から『抜き返せ!』と喝が入ります」

新聞は地方紙といえど地元での圧倒的なシェアを誇り、7割以上もの県民が購読しています。ニュースを提供する人も、読者も、地元で酒井さんが触れ合っている人々。そこで酒井さんはニュースの背景にある人々の存在を身近に感じながら、記事を書いていたのです。

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2年目から、酒井さんは本社で読み物系の記事を多く手がけるようになります。新聞の記事には速報を伝えるストレートニュースと、長文で読ませ、エンターテインメント性を兼ね備えた読み物系の記事があります。酒井さんはその読み物系の記事を任されることが多くなってきたのです。

ずっと北陸新幹線の話題を追いかけていました。新幹線開通は、地元で100年に一度の出来事といわれていて、まだ開業していない段階から数年の間、毎日のように読み物記事を書いていたのです。それで色々鍛えられましたね。

夕方に取材した記事を1000文字ほどの読み物にして、その日のうちに仕上げると、当時の編集局長自ら僕の記事を読んでくれるのです。それがとても厳しくて……。『お前の記事はつまらない!』と怒られたり、でも締め切りを過ぎれば、夜中に飲みに連れて行ってくれて『まあ、良かったよ』と言ってくれたり。そして次の日に原稿を持っていくと、また怒られる(笑)。その繰り返しです」

編集局長がそれだけ熱を入れるのも、酒井さんの筆力に可能性を感じたからかもしれません。実際に酒井さんが手がける記事は読者に好評で、酒井さんは実に多くの北陸新幹線関連の読み物記事を書きました。それだけに、詳細に追ってきた北陸新幹線が開通したときは、感激もひとしおだったそうです。

「北陸新幹線が開通したことによって、想像以上に人が来た。一番列車が来て、そこからワーっと人が降りてきたときは、やっぱりすごく感動しましたね。新幹線を『希望の光のように見えた』なんて、書いた記憶もあります

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金沢開業の初年度には、在来線時代の3倍もの人が、北陸新幹線を通じて往来しました。酒井さんが書いた北陸新幹線にまつわる数々のストーリーは、新聞紙面を通じて多くの読者の心に届いたはずです。酒井さんも、その手応えを感じていたからこそ、新幹線に希望の光を重ねたのではないでしょうか。

学生時代に思い描いた就職ではなかったものの、結果的に新聞社時代は書き手としての酒井さんを大いに成長させました。対象をあらゆる角度から深掘りする取材力と、読み物としての完成度の高い記事を書く文章力は、この時期に鍛えられたといえるでしょう。

雑誌編集者として活躍し、トレンドを見極める目利きに

北陸新幹線の金沢開通を見守った2年後の2017年、キャリアの転機が酒井さんに訪れます。酒井さんは東京に移り住み、転職活動の末、日経BPに入社。『日経トレンディ』の編集部に配属されました。

「東京に出てきてから就職活動を始めたのですが、思ったよりも仕事が決まりませんでした。30歳を過ぎていたので経験者採用の枠になるのですが、記者の求人は少ない。記者って、あまりツブシが効かないんです。そこで様々な職種に範囲を広げましたが、結果として文章力が認められたのか『日経トレンディ』の編集部に。そのタイミングで、やっぱり文章にかかわる仕事が天職なのかな、と思えてきました

日経BPでは記者としてではなく編集者としてスタートしました。編集者と記者は近い職種ではあるものの、仕事内容は大きく違います。記者は取材や文筆がメインであるのに対して、編集者は記事の企画を考えたりコーディネートしたりするのが主な仕事。特に雑誌の場合は、誌面のビジュアル構成に多くの時間を割きます。

「誌面のレイアウトを考えるのは未体験で、イチから学びました。素材が集まらなくてハラハラしたり、写真の見せ方が掴めなかったり……。最初は大変でしたが、勉強になりました。他に新鮮だったのは、企画を考えるプロセスです。市販の雑誌は企画と売り上げが密接に連動していて、特集によって売り上げに大きな差が出ます。定期購読が基本の新聞とは、企画を立てる目的がかなり違いますね」

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雑誌は業界全体で部数が落ち込んでいて、だからこそ”売れる”企画を強く求められます。なかでも『日経トレンディ』は、市場のトレンドを予想する媒体。ニュースに対する高い感度を示さねばなりません。編集部時代は「もっと書きたい」という気持ちを感じつつ、企画力や、トレンドを読む目利き力を鍛える重要な経験を重ねたそうです

そんななか、時代はWEBファーストへ。WEBという即時性の強い媒体に先に記事をあげて、その後に紙の媒体を発行する流れが普及してきました。『日経トレンディ』もその流れに乗り、WEBマガジン『日経クロストレンド』をローンチ。酒井さんは『日経クロストレンド』を兼務するかたちでWEB記者として仕事をしています。

WEBマガジンは雑誌よりもさらに「どれだけ読まれているか」に左右される媒体です。無制限に記事を掲載できる代わりに、読まれない情報は次々と追いやられていく。そういった媒体の特性に揉まれながら、酒井さんは記者としての実力を発揮してゆきます。なかでも注目されたのが、ワークマンの記事でした。

「『日経クロストレンド』は、3000文字クラスの記事が多く、ある程度長い記事を練って書くので、今まででより文章にこだわれる感じはあります。

ただ、読まれるか読まれてないかの結果がすぐに出てくるので、読まれていない時は凹みますね。トップページの横に、1位から10位までのランキングがあってどんどん入れ替わっているのですが、そのなかで上位に食い込めないと多くの記事のなかに埋もれてしまう。今日出した記事なのに、トップページに全然上がってこないとか(笑)。

そんななかで、ワークマンの記事はアクセス数が跳ね上がりました。作業服メーカーだったワークマンの一般向けブランド『ワークマンプラス』の立ち上がりが好調だということで、もともとは『日経トレンディ』の先輩記者が取り上げたネタ。それを『日経クロストレンド』兼務だった僕が、特集化して深掘りしたのです。

この特集はなぜか公開当初から媒体内の他の記事と比べて段違いに読まれ、さらに時間が経つごとにアクセス数が伸びてきたので、書籍化が決まりました。

僕がニュースを追う基準は、これから多くの人に広がりそうかどうかということ。その点でワークマンの記事には、確かな手応えを感じました」

記事が公開された当時、『ワークマンプラス』が好調だということは多くの人が知っていたものの、その経営について注目されてはいませんでした。それが酒井さんの手がけた『日経クロストレンド』の記事によって、人々の関心に火がついたのです。

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WEBの記事を書く際に、酒井さんが注力しているのは、どのような点なのでしょうか?

「WEB記事に限らず新聞記者時代から心がけていることですが、1本の記事をどこまで深く書けるかに、全力を注ぐことです。今はインターネットが普及して、誰でもプレスリリースが見られる。速報ではもう競えなくなってきています。そうなると、これからはいかに深く掘れるか、いかに分析できるかということに、記者の役割が変わってくると思っていて。1回取材した後でも、またさらにリサーチして肉付けをするなど、取材を深めることには意識的です」

WEB記者としてバズを生み出す酒井さんの根本には、新聞社時代のニュースを深掘りする取材力や、トレンドを読み解く雑誌編集者としての勘が活きているようです。

酒井さんが執筆した『ワークマンは商品を変えずに売り方を変えただけでなぜ2倍売れたのか』は、WEBの記事にさらに加筆してまとめられた書籍。時代を先取りする企業を追ったルポルタージュとして、また今この時代に仕事を頑張っているビジネスパーソンを鼓舞する読み物として、好評を博しています。酒井さんはWEBファーストの時代に書籍を出版することの意味を、次のように語ります。

書籍は書籍で、届く層が違うと思いましたね。ワークマン自体は、『日経クロストレンド』の特集以降、さまざまなビジネスメディアで多く露出していたんですよ。だからワークマンのデータ経営など、部分的には知っている人も多いだろうなと思っていました。とはいえ1冊体系化して書籍になってから、初めて知ったという方も意外に多くて。だから、本って昔からあるものですけど、意外に可能性はあるなと。

WEBの時代は『日経クロストレンド』だけをとっても、何万記事もあります。読まれず埋もれてしまった記事も多い。それを本で掘り起こすのは、ひとつの方向性ですね

現代は多くの記事がオンライン上で飛び交います。読まれる記事のなかには話題になり過ぎて本質から離れてしまうことがあり、一方で重要な記事なのに読まれないまま消えてゆくことも少なくありません。そんな時代だからこそ、プロフェッショナルなスキルを持った記者が情報を見極め、深掘りし、再提示することが必要になってくるのかもしれません。

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紆余曲折をへて酒井さんが手に入れた「天職」

もともと書くことが好きだった酒井さんですが、それを「天職」と思えたのは社会に出て10年近くが経った頃でした。今では酒井さんは、記者という仕事をこう捉えています。

「どんな商品やサービスにも、必ず秘話があります。またどんな人にも、物語があるのです。それを掘り起こして発信することで、そのブランドを際立たせたり、人も味わい深く見せたりもできる。物事の背景に物語を見出して深みを与えることは、記者の仕事としてまだ開拓されていない、可能性のある分野だなと思っています

誰でも発信でき、ライターを名乗ることができる現代。オンラインで流れていく情報の波に疲れてしまうことが多い日々のなかで、情報の奥にあるストーリーや人の温もりを、実は多くの人が求めているように思われます。そんな文章の書けるプロフェッショナルは、幾多のライターの中でもほんの一握り。間違いなく、酒井さんはそのひとりだといえるでしょう。

最初に就職した地方新聞での経験、そして日経BPでの雑誌編集者やWEB記者としての経験、そしてルポライターとして書籍を書ききった経験の上に、今の酒井さんがいます。一つのことをじっくりと深掘りする取材力や、トレンドを見る目利き力、そしてさまざまな情報をまとめあげる編集力。それらは情報の奔流の時代を生きる記者に求められる資質かもしれません。

2020年も突然のコロナ禍で、キャリアの転機にいる人にとっては厳しい年。その経済的な打撃はリーマンショック時以上ともいわれ、すでに仕事に就いている人にとっても、多難な年でした。仕事のひとつひとつに真摯に向き合うことで、天職を手にした酒井さんのキャリアヒストリーは、そんな時代に生きる私たちに、ヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

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(取材・文:蜂谷智子 写真:Kohichi Ogasahara 編集:鈴木亮一)

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