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水面から土台が出てくるまで、伝え続けることをあきらめない。AI研究者・三宅陽一郎さんインタビュー

各分野で精力的に情報発信されている方に「伝える」について伺うことで、これからの時代の情報発信やコミュニケーションのあり方を探っていく本企画。
今回お話を聞いたのは、ゲームAI開発者として第一線で活躍してきた三宅陽一郎さん。多くのゲーム開発にたずさわり、ゲーム企業でAIチームのリーダーやCTOをされています。
三宅さんは、積極的な啓蒙活動を展開されていることで知られています。いままで関わってきた書籍は20冊以上。講演活動も毎週のように行われているほか、「人工知能のための哲学塾」を主宰するなど、理系文系に捉われないユニークな情報発信をされてきました。
どのような問題意識や想いのもと活動されてきたのでしょうか。昨年12月に上梓された新刊『人工知能が「生命」になるとき』の内容もあわせて、「伝える」について聞いてみました。

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三宅陽一郎さん/ゲームAI開発者
2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事。立教大学特任教授、九州大学客員教授、東京大学客員研究員、国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会チェア、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会理事・シニア編集委員。
著書に『人工知能のための哲学塾』『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』『人工知能のための哲学塾 未来社会篇』、『ゲームAI技術入門』、共著に『ゲームで考える人工知能』、『ゲーム情報学概論』、『FINAL FANTASY XVの人工知能』など多数。

「ゲームAI」を生き残らせるためには、情報発信が不可欠だった

――三宅さんがいまのような情報発信をされるようになったきっかけは、なんだったのでしょうか?

現在は第三次人工知能ブームの真っ最中ということもあり、人工知能に多くの注目が集まっています。しかし、私が研究をはじめた2004年当時は、この分野は全く知られていませんでした。デジタルゲームのAIを専門にしていたのは、私も入れて国内に2人ぐらいだったと思います。

「人工知能によってゲームを革新」といっても、関心を持ってくれる人はほとんどいません。この分野を生き残らせ、発展させるためには「デジタルゲームのAIはこういうものです!」ということを、世の中に発信し続け、自分で自分の土壌を作っていく必要があったんです。

――2004年はゲーム機器でいえば、PlayStation2やゲームキューブが使われていた時代ですね。たしかに、その時期には想像がつかないかもしれません。「人工知能が必要だ」と主張すること自体、とても勇気が必要だったのではないでしょうか。

最初は「海の中で土を盛っている」ような感覚でした。コツコツと続けるのですが、表面には全然出てこない。近くにいる人にアイデアを話しても、「こんなの発表してもしょうがない」「どうせ理解してもらえないよ」と言われることがほとんどでした。

少数の理解してくれる仲間がいて支えてくれましたが、反発をうけることの方が多かったんです。転機になったのは、2006年のCEDECで「ゲームと人工知能」をテーマに発表し、思いの外反響があったことです。共感してくれる仲間は、必ずしも近くじゃなくても遠くにいる。それ以降は「小さな土地を耕し、少しずつ大きくしていく」作業を続けてきた感覚です。

講演や書籍の執筆、今回のようなインタビューの機会も、全部そうですね。社内でのセミナーもコツコツとやり続けました。前職時代も含めると15年近く続けており、合計で500回ほど開催していると思います。

――途方もない努力や根気を感じます……。三宅さんの著書を読んでいて印象的なのは、とにかくビジュアルに訴えかけてくることです。新しい概念や枠組みが紹介されるたびに、執拗なほどイメージ図が挿入されている。フェティシズムを感じるほどです(笑)。

人工知能は目に見えないものなので、文章だけではなかなか説得力を持たせることが難しいんですよね。元々はそんなに図を作るタイプではありませんでした。しかし、発信を続けていくうちに「一度説明しただけで理解してくれる人はいない」ということに気づきはじめます。文字をつらつらと書くよりも、内容の本質を伝えられるような図をパッと作成できるかどうかが、伝える際の勝負どころだと思っています。

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(『人工知能が「生命」になるとき』P105掲載の図。「世界に根ざした知能の在り方」を示している)

一回の講演で、スライドを1枚覚えて帰ってもらえたらいい方です。その印象に残った1枚の図が、講演を聞いてくれた人の心に残って影響を少しでも与えてくれたらいい。私は自分のスライドはインターネットになるべく全て公開するようにしています。いま、スライドシェアには合計200回分ぐらいあるはずです。「誰でも使っていいですよ」という形にしています。

――お話を伺っていると、改めて「伝える」とは長い持久戦なのだなと思いました。何度も何度も繰り返して、半ば刷り込ませるというか、相手にとって自然な状態まで持っていかないと真の意味で伝わったとは言えない。

私もかつては「一回発信したら世界中に伝わる」と思っていましたが、そんなことはないわけです。講演に来てる人の中の、全員の心をつかむのはとても難しい。ごく少数の人の心を動かしたり、感慨を与えられたりできるだけです。一回の講演でも全力を尽くしますが、きちんと伝えるためには、同じことを何度も根気強く言い続ける必要があるのです。

人工知能にとって文理融合は自然なこと。自分のランドスケープを共有する

――三宅さんが理系の研究者でありながら、「人工知能のための哲学塾」のような文理融合の発信をされているのはなぜなのでしょうか。

中学生の頃から、デカルトやフッサールをはじめとした、哲学者の本を愛読していました。それと同時に数学書などを読んでいたため、元々自分の中で文理の区別はほとんどなくて、むしろ接続されているのが当たり前でした。そうした私自身の志向性もありますが、なによりも人工知能が本来「文理融合」でしかあり得ないという強い確信があるからです。

人工知能という学問はまだ生まれて歴史が浅く、固有の枠組みをほとんど持っていません。「知能を解明する」というサイエンスの探求、「知能を作る」というエンジニアリングの探求、そして「知能とはなにか?」と問いを立てる哲学的探求。人文社会科学と自然科学を横断しながら、この三つの探求を同時に行うことで、はじめて人工知能をつくることができます。私は、人工知能は細分化された学問の再集結地点だと考えています。

――日本だと、文系と理系の間の隔たりがまだまだ根深いと思います。その中で、三宅さんは双方の分野の人やコミュニティとよい関係性を作り、共同してプロジェクトなどを行われている印象があります。

たしかに日本では、「自分は理系だから」「文系だから」と双方が自己規定して分断されている印象があります。私が意識しているのは「理系の人も哲学に興味を持つべきだ」と無理やり誘いだしても難しいということです。そうではなく、理系の人向けの話の中に哲学の話を自然に接続させる。そうすることで「こう考えた方がおもしろいでしょ」というのをみせていく。文系の人向けに話す際も同じです。

たとえば、プログラミングの理論と認知科学の話は一見接点がないようにみえます。しかし、私は人工知能の研究を通して、双方を繋げて発展させられる通路をたくさん見つけ出してきました。自分が見つけてきたランドスケープを、多くの人に共有したい気持ちがあります。

もちろん、接続はとてもデリケートな作業ですので、細心の注意を払って行います。それを丁寧にできるのが自分の強みであり、役割だと思っていますね。

発信を続けることで「社会的自我」を構築する

――情報発信を続けてきたことで、三宅さん自身にはどのような変化があったのでしょうか?

もともと自分は研究職ということもあり、一人でロジックを突き詰めていくタイプでした。他者とコミュニケーションをとらなくても、研究自体は完結します。そのため、昔は不特定多数の人にわかりやすく伝えることは得意ではありませんでした。

必要に駆られて発信していくなかで、手応えを感じる時もあれば、失敗したと思う経験もする。試行錯誤しているうちに「こういうやり方で、こういう内容を伝えばいいんだ」と他者や社会から期待されている役割を感じることができるようになりました。それに応えていくうちに、自らの「社会的自我」を形成してきたようなイメージです。

――「社会的自我」ですか。

G.H.ミードという社会学者の概念です。人には個としての自我があって、それが社会に適用していくと考えがちですが、そうではない。自我というものは、社会や他者との関係性の中ではじめて形成されていくものだとする考え方のことを指します。

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(『人工知能が「生命」になるとき』P227掲載の図。「社会的客我(me)と実存的主我(I)」を説明している)

「他者の視線」が社会的自我を形成していくうえで重要です。それを一番感じやすいのは、目の前にいる人に語りかけて、反応を受け取る講演の場だと思っています。ブログなどの一方的なメディアではなく、「人工知能のための哲学塾」のようなコミュニティや場を通して私が発信しているのも、他者の視線を感じやすいからかもしれません。

繰り返すことで、伝えたいメッセージや理論もブラッシュアップできているように思います。発信することで一番変わっているのは、自分自身なのかもしれないですね。

――粘り強く発信をしていくことで、他者からの役割を取得し、社会との関係性を作っていくことができる。企業のPRにも通ずるものを強く感じました。

ぼくらが人工知能に抱いている「モヤモヤ」の正体

――12月に刊行された『人工知能が「生命」になるとき』についても、お話を聞かせてください。

「どうすれば理想の人工知能を作ることができるのか」ということを、東西の哲学や科学、国内外のエンターテインメントの知見をもとに、さまざまな切り口から考えた本です。

人工知能はもともと西洋由来の技術です。そのことによって、機能的な側面が強調されて設計されています。しかし、これからは東洋的な知能観や思想をもとにアップデートされるべきだと私は考えています。本書のビジョンは、東洋的なモデルを「人工知性」と呼び、西洋的な「人工知能」と比較・対立させることで、その先に広がる「人工生命」を構想するというものです。

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(『人工知能が「生命」になるとき』P11掲載の図)

――世間では「人工知能が人の仕事を奪う」といった話がいまでも影響力を持っていますよね。三宅さんの本を読むと、そのような単純な話ではなく、人間ができることと人工知能ができることの役割が変わっていくんだとわかりました。

そうした脅威論などの影響もあり、人工知能に対して違和感や不安を覚え、モヤモヤしたものを抱えている人も多いのではないでしょうか。西洋的な人工知能を日本人が自分たちのものとして受容できてないことにより、流布しているイメージの一例だと思います。私はこうした日本人のモヤモヤ感の一番の原因は、東西でのAI観の違いにあると考えています。

西洋は人間中心主義の中で、「人工知能は召使いである」「人間とは一線を画す人間以下のものである」と考えてきました。人間が上位にいて、その指示に従う存在ですね。だからこそ、人間と人工知能の立場が逆転することも強く恐れている。

一方で、日本は自然中心主義の中で、人間とは異なる存在として人工知能を作り、同胞として受け入れようとします。自分の隣にいてほしい、仲間となるようなイメージです。この違いは、東西のエンタメやSFが人工知能をどう描いてきたかを参照しても、よくわかることです。

――aiboやLOVOTなどの家族型ロボットが日本発で人気を集めているのも、そうしたAI観の違いからくるものだと考えると合点がいきます。

私たちが感じている「モヤモヤ」自体に意味がある、ということも本書を通して伝えたいことの一つです。この違和感をきちんと言語化して向き合い、解消する。そのことによって、私たちが人工知能とどのような未来を作っていけるかを考える、新しいスタート地点に立つことができる。それがこの本の目指すゴールですね。

原宿JKが人工知能を一番使いこなしている?

――今回の取材のテーマである「伝える」に関連して、最後に少し変な質問をしてもいいでしょうか。

なんでしょう?

人工知能に対してアンテナを張っているような層には、三宅さんの問題意識は徐々に浸透してきているのだと思います。しかし、こうした話題に興味のない人たち、比喩的にいえば、アイドルグループ・BTSが好きな原宿で遊んでいる女の子たち……そういう方々に問題意識を「伝える」にはどうすればいいと思われますか?

私はそうした一般的な人も含めて、人類全体に伝えたいと思って情報発信しています。これまでも、手に取りやすい新書や、マンガの形でも書籍を出版してきました。ただ、そうした層にリーチできたという実感はまだ薄く、私もどうしたら伝えられるか試行錯誤しています。

一つ思うのは、人工知能について考えることは、「人間自身について知る」契機にもなることです。新著でも「コミュニケーションとはなにか」「言葉とはなにか」「仕事とはなにか」といったテーマを扱っているので、人工知能自体に興味がない方が読んでも、自身の悩みや社会生活において役立ててもらうことができると考えています。

――たしかに「人工知能」を通して人間について考えているからこそ、ひとつクッションが挟まり、内容がスッと入ってくる感じがあります。

日本のアニメや映画、小説、ライトノベルといった想像力が人工知能をどう描いてきたのか。それらエンタメ作品を補助線にして、東西の人工知能について語るのも新著のテーマの一つです。「仮面ライダー」シリーズや、「新世紀エヴァンゲリオン」「攻殻機動隊」をはじめ様々な作品を通して考えています。なじみのあるエンタメ作品を通して、人工知能を知る機会にもなってくれた嬉しいですね。

―でも、原宿にいる高校生は、そもそも本を手に取ってくれないかもしれません。人工知能との接点をもう少し見つけたいなと思うのですが、なにがあるでしょうか。

人工知能の発展の方向性の一つとして「人間拡張」を紹介しているのですが、これはヒントになるかもしれません。現代人はみんなスマホを持っていますよね。人間はスマホを通して、本来なら不可能なことをできるようになっています。自分が知らないことをグーグル検索で一瞬で知ることができ、知らない場所にもマップ検索ですぐたどり着くことができる。スマホは小さな人工知能ですから、これは立派な「人間拡張」です。

――「みんなすでに人間拡張されているんだ」ということを入り口に、人工知能について考えてもらうというのはあり得るかもしれません。

若い人ほど、最新のガジェットやアプリをいっぱい知っていて、使いこなしていますよね。逆にテクノロジーの技術者と会っても、スマホの中にはあまりアプリが入っていないということもしばしばですから。新しいことにすぐ飛びついて、自分のものにしてしまう。そういう意味では、原宿にいる女子高校生が人工知能を一番使いこなしていると言えるかもしれません(笑)。

―同時に、自分が拡張されていることに最も無自覚なのも彼女たちかもしれない。この点は、人工知能が「自然」になってきていることの証なのかもしれませんね。本日はありがとうございました。

(聞き手:小川翔太、原光樹)

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